2019年6月1日(土)、初夏を思わせる快晴のもと第6回目を迎える「学校蔵の特別授業」が始まった。
もともとこの特別授業は、自然・歴史・文化の要素と共に日本の抱える先進地としての意味合いからも「日本の縮図」と言われる佐渡島から、大きな島國ニッポンの未来を考えてみよう!とスタートしたものだ。毎年、様々なテーマで授業を構成してきたが、今年のテーマは「佐渡島から考える、人が減っても出来ること」にした。人口減少が進む日本においては何を語るにも悲観的な空気が伴っているように感じる。しかしながら、本当に未来は暗いことばかりなのだろうか?ジタバタしても変わりようがない近未来の人口減少という事実に、いつまでも悲観的な気持ちで向き合うのはもう終わりにした方がいいのではないか?そう考え、人が減ったってへっちゃらさ、という精神を培いたくなったのだ。
講師は昨年と同じく、藻谷浩介さん、出口治明さん、玄田有史さんの3名。集まった生徒は120名の多様なバックグラウンドを持つ生徒の皆さんだ。16歳から76歳まで、高校生、大学生、農家さん、大企業の方、ジャーナリスト、Iターン、Uターン、遠い場所で地域創りに奔走する人もいた。佐渡の方と島外の方はほぼ半数。この混ざり具合がちょうどいい。
最前列には新潟県立佐渡高等学校の2年生達が座り、授業のはじまりの時間を迎える。
始業ベルと共に講師陣が教室に入り、室内全体に高校生が発する「起立!礼!着席」の号令が響き渡る。初参加の人は「えっ?」と驚きながらも嬉しそうにそれに従う。授業を受ける儀式を経て、大人たちは童心に帰るのだ。さぁ、授業の始まりだ。
(以下、参加者の玉木有紀子氏のレポートより)
3名の講師・藻谷浩介先生、出口治明先生、玄田有史先生の、それぞれの視座に基づき、バックデータも踏まえながら、いろんな年齢層の生徒たちにも判りやすく、自分事として捉えることができる素材を示してくださる講義の奥深さ、そして、この授業があるからこそ、各地各所で日頃がんばっている方々と出会え、再会が叶うこと、に心から感謝です…
そして、木造の小学校の教室に、こんなにたくさんの人たちが集まって、意見を交わしていることって「人が減ったからできてきたこと」なんじゃないのかな、とか、何人まで教室に入れるか調べ&どこから来たか調べ、とかしたら、夏休みの自由研究になるかな…なんてことも思った、夕日の美しい一日でした。
以下、講義の概要など、私自身の振り返りの意味で、レポート提出します。
■1時間目:玄田有史先生
「人が減ったからできること」って何だろう? 玄田さんの問いは、起きている現象、現状に対して、その課題や現状を突き詰めることとあわせて、変わっていく社会のなかで、人がひととして生きていくことへの希望を捉えてみると… との投げかけから始まりました。釜石に長く関わられている中で、大震災後にカレンダーを持って現地を訪ね喜ばれたというお話。日々を刻むこと、明日の予定を考えること。「人が希望を持っていく、生きていく、ということとは」を端的に表した、小さな卓上カレンダー。
へぇ、カレンダー? だからなに?? そうした、ちいさなはなし。けれど、誰もがどこかでそれと似た経験や感情を抱いたことにつながっていく、ちいさいけれど、普遍的なテーマを内包したおはなし。人が減っても、そう簡単に地域はダメにはならない。けれども人とひととが共感しあえる「ちいさなはなし=コネタ」が無くなったら地域はあっという間にダメになる、と。
あぁ…遂に…「コネタ(KNT)理論」公表!の瞬間。心臓バクバクしました!!
人が少なくなると、やさしい人が増える。見るに見かねて手伝う論や、「3つのカン」=感(体験)→勘(失敗経験から得られる、ここまでだったら…の領域)→観(Vision:大ネタ)、の順序が最近はいきなり「観」になってはいないかという考察も、多くの社会にうまく適応できずに大人にならざるを得なかった人たちとの話を重ねてきた玄田さんらしい一言でした。だから大ネタではなくてコネタから、と。
■2時間目:出口治明先生
「少ないと一人ひとりが精鋭になれる。」と、出口さん。APU/立命館アジア大に集まる学生が世界各国・地域からであることとあわせ、少数だと一人がすることがたくさんになり、学びの場では豊かな教育ができ、皆が頑張ることになる、と。少数であっても、むしろ少数であるから、多様である、と捉えてみたらどうだろうか、と。教育の歴史から、自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を述べる力をつけること、には普遍的な価値があることや、コメニウスとルソーの思想の違いへと、お話が拡がっていきました。「人間不平等契約論」や「社会契約論」のルソーについてはきっと、参加してくれた高校生たちも倫理社会・哲学の教科書で学んだかもしれませんが、たぶん、現代の学校教育の基礎をつくったコメニウスについては、あまり知らないかもしれません。
さすがの出口さん歴史学。「人びとがすべての知識を共有することによって、戦争が終わり、ヨーロッパが一つになる」と考えたコメニウスの思想は、現在のユネスコに受け継がれ、また、彼が唱えた女子教育の必要性や、世界初の子どものための百科事典を著していること、ライフサイクル全般を通しての生涯教育の大切さを体系的に語った教育学者であったことをベースとして、子どもが生まれない社会の背景にある男女差別のことや、クオーター制の導入の必要性へと論が進みました。「部分最適ではなく、全体最適を考える。人間として、何ができるか。」を考え学ぶことが教育の本質との強い言葉は、根拠なき精神論への明確な否定と、物事の本質を正しく理解することがいかにできていないか、の強烈な問いかけでした。最前列で聞いていた高校生諸君、あなたたちが社会で活躍する頃にクオーター制が当たり前のことになっているかは、私たち大人の責務だと、心に誓うもの山ほど有り、でした。
■藻谷浩介先生
「市場自体が縮小しても増えることは何?」 玄田さん、出口さんのお話に重なる課題提起から、事実・数字根拠を踏まえて藻谷さんのお話ははじまりました。人口が減ると市場が縮小する。けれども増えることもある。例えば人口減少社会では助け合う必要が増える。ゆえにやさしさは増える。見るに見かねて…、見て見ぬふりはできないから、人が少ないことで手を出すことが多くなる。人口減少が進んでいるといっても、明治以前より人が少ない県は未だ無い。そして、少子化が本格的に進むのはこれからであって、日本の総人口が6千万人台になっていくことは事実でありながら、仮定の確認がなされていないことをどう捉えるかだと。例えば、女性の就業率と出生率の関係。「女性が社会進出したことで少子化が進んだ」という話って本当?
否!女性の働く割合が多いほど出生率も高い。(なんとこうした分析は国土交通省白書にも明示!) みんなの意見だ、とされる「共同主観」と、ひとりの意見である「個人主観」。
人類の多くに共通している世界観、世界は主観=意見からできていて、多数派意見が正しくなり、少数意見が否定されることへの課題提起。個人主観はどうして否定されやすいのか。「みんながいい」と言っていることを正しい、とすることが進んできてはいないのか? クラウドサービスの中に入っているものを引き出してきて自分の意見としている、のではないのか?話題が目先のことばかりに集中し過ぎていないのか?
客観的にその説が正しいかどうかは、実際にやってみると判る。共同主観vs個人主観という対峙構造から、皆が思い込む間違いと少数が思い込む間違いと、皆が認識する事実と少数が認識する事実とを相対してみる力をつけていこう。
今回の授業も時間が足りないほどで、次世代再生力についての藻谷さんのお話は、もう少しゆっくりお聞きしたいなぁと思いつつ。そして、3人の先生方のお話がこんなにも深くつながっていることに、この特別授業の凄さ、を痛感しながら。
■4時間目:生徒総会
生徒総会での高校生の発表は、実際に自分たちで、農家の方々にお話を聞くことから始めて、意見・まとめへとつないでいったものでした。客観的に正しいか、は、やってみるとわかる、という先生方からのお話が、彼ら彼女らのこれからにどう紡がれていくのだろう… たのしみだね(^-^)
共同主観が協働主観となったとき、こねたがだいじ&全体最適と共同主観とは全く異なる、と、高校生の彼ら彼女らは、きっと強く実感する。そして、年かさがいっぱいの私たちも、普遍的な価値はどこにあるのかを、3人の先生方のお話と高校生の発表から改めて考えないとだよな、と思う。
(授業レポート終)
《まとめ》
「学校蔵の特別授業」の特徴は「多様性」と「笑顔」である。16歳から76歳まで、学生、農家さん、会社員、ジャーナリスト・・・様々なバックグラウンドを持った人達が「生徒」として小さな木造の教室に肩を寄せ合って学ぶ。先生の言葉によって、生徒たちが化学反応を起こしていくのが手に取るようにわかる。こういう反応は、やはり若い高校生が早い。最前列の高校生の目がキラキラ輝くと、そのエネルギーが周りの大人達に伝播して大人も次々と変化していく。そんなに簡単なものか?と思うだろう。それを実現出来るのは、ここが「学校の教室」だからに違いない。この小さくて古い木造の教室に座るからこそ、誰もが肩書きという鎧を捨てて、かつて学び舎に通っていた心に戻れるのだ。純粋な心は、音も響くし熱量も届く。そして化学反応も起きやすい。4時間の授業を受けながら、生徒達は外からの刺激を受けて新しい気付きを得ると共に、自分の心の中に漫然として居座るある法則に則った癖や反応の元に気付いたりもする。すなわち、この特別授業において、化学反応は二つの意味を持つ。一つは化学反応によって新しい気付きを得ること、もう一つは、自らの反応の化学を知ることだ。
生徒として参加している人達は、実は正解が欲しいわけではない(と思っている)。欲しいのは、自らの変化という成長であり、共に学ぶ仲間である。それがあれば、きっと前に進む勇気と希望が生まれるに違いない。
いくつになっても成長出来るという実感こそ、心からの笑顔を産み出す。
本年も多くの方と一緒に「学校蔵の特別授業」で学ぶことが出来、深く感謝致します。
来年もまた、学校蔵で会いましょう!
学校蔵の特別授業2019
学級委員長 尾畑留美子
卒業アルバム的集合写真。佐渡マークと共に。
授業合間の休み時間には、地元のお菓子屋さんが手作り出店で参加者と交流。
小さな普通教室には100個の手作り椅子がぎっしり並ぶ